西東京菜の花エコ・プロジェクト 公民館市民企画事業 講演会「私たちと水、食べ物、エネルギーそして農業からまちを考える」

3月5日(日) 谷戸公民館

「まさか人間の心理の話にまで行きつくとは・・・」

農業に関する話を講演で話すのかと思っていたら、それだけでは収まりませんでした。西東京菜の花エコ・プロジェクトは今まで体験型環境学習・啓発活動・環境に関する学習会等を開催していましたが、15周年を迎えこれからの「農のあるまちづくり」を考えるきっかけとして環境を考える若い世代を招き、新たな活動へ踏み出そうとしています。

若尾健太郎
ノウマチ西東京農地保全協議会事務局長
株式会社ユニココ代表取締役

まず事例発表をした若尾氏は海外、農山村NPOを経て現在は農業を軸に活動しています。途上国では貧しい地域でも支え合いによって社会が形成されていますが、日本では効率を重視するあまり人間の関係が希薄化しています。若尾氏は農村ではそのバランスが農業によって保たれているのではないかと考えています。

芝久保にある農家さんに畑を借りて「みんなのはたけ」を運営している若尾氏は、障がい者も高齢者も子どもも大人も一緒に農作業をし、交流を作っています。農福連携に健康の視点を取り入れた医農福連携や多世代交流などが大事だということでした。

 

 

高村和明
まちにわひばりが丘事務局長 HITOTOWA INC.ディレクター

企業の人間としてCSV(共通価値の創造と訳されている:日本では「三方よしの精神」が近い)を推進している高村氏。講演が行われた日は3月5日、「さんごの日」産後の日ということで、二児の父である高村氏は育休をとったばかり。工業化社会では公害や大量生産・大量消費が問題となり「エコ」という言葉のように社会は環境だけを捉えてきましたが、これからの時代は環境「だけ」を考えずに、「ソーシャル」他の社会問題とつながって考える時代になっているといいます。

 

まちにわひばりが丘は「エリアマネジメント」という考え方で地域コミュニティを作ろうとしています。昔のような村社会に戻るのではなく、しかし「醤油を貸し借りする仲」のような良い面を残したい。カフェや学習講座などが利用できる活動拠点があることでできることが広がります。

 

テイクだけでなくギブから始まる「新しい公共性」の時代。経済や子育て、高齢化、コミュニティも考える社会へ。高村氏は社会問題に対する解決をコミュニティを通して求めています。

 

 

次の講師の宮沢氏は農学を起点として幅広い分野を研究しており、自然農、ニホンミツバチ、コミュニティガーデン、最近では心理学を主に研究しているとか。

 

「パーマカルチャー」(持続可能性の文化、農業)は「デザイン」+「情報集約」-「労働集約」

たとえば使い道のない段ボール箱。耕作放棄地のような荒地に生ごみ等をまいたあと敷き詰めると、そのまま畑として使えるようになります。持続可能な環境を実現するためには必ずしもコストをかける必要はなく、昔ながらの智恵と、現代の技術を組み合わせて新たな発想と工夫をすることが大事だと言います。しかし中々今までのやり方を手放すのは難しいもの。そこで必要なのが心理学的手法だというのです。

宮沢佳恵
農学博士
東京大学大学院農学生命科学研究科
農学国際専攻
国際植物資源科学研究室准教授

ワークショップで受講者各々が考えたのは「自分が怒っていること」。一見農業やまちづくりとは全く関係ないように思えます。なぜこのようなお題を出したのでしょう?

 

「問題だと思うこと」「怒り」の根本を考えると往々にして些細なことであったり、その問題は「こうでなければならない」というフィルターをかけていることで解決が難しくなることがあります。

宮沢氏は「キッチンの後片付けは夫が夜するはずなのに朝になってもしていなかった」ということで夫婦喧嘩になったといいます。このときに宮沢氏がもっていたフィルターは「夫婦は協力して家事育児するべき」。「やらせよう」とすることに固執して効率的な解決策である「家事代行」や「ほめて伸ばす」という別の選択をしたがらなかったことが問題が解決しない根本だったと言います。

自分が怒っていることがあり、その物事を客観的にみてみる。もしかしたらそれは自分が固執しているフィルターをかけていることで解決しなくなっているかもしれない。自分の、また相手のフィルターを考えてみることで実はシンプルな解決法があるかもしれません。それこそが「逆転の発想」なのです。

「逆転の発想」をすることで問題解決の糸口が見つかる。問題自体を資源として考える。言うは易く行うは難し、ですが、知恵をしぼることが大事です。高村氏も言及していた「シェア」の一歩先の「ギフト」、与える文化が浸透するには与えられる側の意識変革が必要ですが、それには信頼関係がその基底にあることが条件なのです。

自分がなぜ怒っているのか、相手との関係性を客観的に見つめることが大事だということでした。